第27回WBSC U-18ベースボールワールドカップが、8月28日より日本で開催されている。私は、9月3日のカナダ戦と4日の韓国戦をインターネットで観戦した。
いつもと違う点に注目して観戦を楽しんでいる。
日本代表はここまで8連勝と圧倒的な強さでグループ一位となっており、嬉しい限りである。
そして今日の18時からは、甲子園で日本と米国との決勝戦で行われる。日本は投打のバランスがとれており今日の決勝でも期待がもてる。
しかし、過去の大会では日本の優勝はなく、米国は過去7度も優勝している。ぜひ今日は勝利して悲願を達成して欲しいところだ。
今大会を楽しめている理由
さて、私が今大会での観戦で楽しむことができている要因をあげよう。
それは、「鳴り物応援がない」ということだ。鳴り物応援とは、ラッパや太鼓や笛などで自分が応援する選手チームを鼓舞することだ。プロ野球での外野席での応援は定番であり、高校野球における応援はもはや風物詩である。
しかし、今大会ではそれがない。厳密に言えば、自国開催の日本においては、日本の選手が登場や活躍すると大きな拍手になることはある。
でもそれは普段の応援のそれとは違っている。
応援がある野球を楽しみたい人にとっては物足りないかもしれないが、このスタイルにより新しい野球観戦ができるのではないだろうか。
応援しないことでみえてくる世界
応援がないということは、球場に聞こえる様々な音がよりリアルに聞こえる。それが見るものに新しい楽しみを与えてくれている。
投手が投げる速球が「バシッ」と捕手のミットにおさまる音は、いつにも増して迫力が伝わってくる。木製バットがボールに当たる「カンッ」という音も、心地よく耳にこだまする。
このような普段楽しめない感覚をより肌で感じることも、この試合を観戦することでの味わいになっている。
だが、それ以上に私が楽しんでいるものがある。
それは、各ベンチから聞こえる選手や監督の声だ。「ベストボールいこうぜ!」「球見えてるよ!」「一発いったれ!」といった生々しい声が、鳴り物応援がないことによって聞こえてくるのだ。
高校野球をしていた私にとって、自分が出していたような声がけに懐かしさを覚えた。と同時に、この声を聞くことで試合の流れも非常に感じやすくなった。
なぜなら、その声がけや選手の振る舞いにより、どこが大事な場面で何を意図してプレーしようとしているのかが伝わってくるからだ。
ただ単に声を出して元気を出したいという意図の声もある。
でもそれ以上に、チームを乗っていかせたい、勝負どころで勝っていきたいという想いが、声にでてくるのだ。私はこの声かげを通して試合の流れをみているのである。
ほとんどの人は、野球の試合の勝敗や、注目選手のプレーばかりに注目している。それも楽しみみ方の一つだろう。それを否定するつもりは毛頭ない。
だた、それ以外の楽しみ方として、選手の声などに耳を傾けることも覚えておいて欲しい。
なぜなら、プレー間にある試合での駆け引きが理解できたりと、野球を一歩上の視点からみることができる楽しさがあるからだ。
この楽しみ方は、私が高校野球を体験したからこそなのかもしれないが、そうではない。そこまで野球を知らない人にとっても、新しい発見があったりする。
ベンチではこういった声が出ているのか、グラウンド内ではこのようなコミュニケーションがされているのか、といったことが分かったりする。これもひとつのおもしろみになるだろう。
応援したいというニーズもある
応援なしの試合の良さばかり述べていると、応援なしの試合をプロ野球や高校野球で開催してはどうかというアイデアが浮かんでくるだろう。
しかし、それでは話が違ってくる。なぜなら、野球では野球そのものを楽しみたいという人だけでなく、「選手、またはチームを応援したい」というニーズが存在するからだ。
彼らはプレーに感動するというよりも、応援することそのもに満足する人も存在する。
例えば、プロ野球のファンの中には、選手のヒットやホームランに一喜一憂するコアなファンがいるのだ。応援するチームが優勝をすれば自分のことように喜び、連敗すれば自分の食事も進まなくなるといった具合である。
興行収入で成り立っているプロ野球からしたら、様々なニーズに応えるのは当たり前の話だ。野球だけ見たい人だけ集めるよりも、多様なニーズに応えればそれだけ儲かるわけであり、それが彼らのビジネスなのである。
そして、それはお客さんにとっても嬉しいことのはずだ。
だから、日本のプロ野球などでの鳴り物応援や声援を禁止するというのはナンセンスだ。
もし野球そのものを見ることだけに集中したいのであれば、耳栓でもして観戦するしかない。
もしくは、メジャーリーグにて、鳴り物応援がない観戦スタイルでの観戦をオススメする。
ベンチに近すぎるのもどうか
今大会を、私は貴重な応援がない試合を楽しんでいるのだが、中継する側がベンチの声を拾い過ぎるのもどうかという疑問が湧いた。
なぜなら、ベンチでの戦略が媒体を通して相手にバレてしまう可能性があるし、個々の選手にあった声かけも不特定多数に聞かれたくない場合もあるからだ。
8月22日から日本で開催されている女子バレーボールのワールドカップでは、このことについて考えさせられた。
この大会も注目されており、テレビ中継がなされている。そこでは、選手や監督に非常に近く、タイムアウトの時間の選手や監督のやりとりがテレビで聞こえることがしばしばだ。
もちろん、それを聞いた観戦者が、「ベンチではこんな声かけをしているんだ」という発見があったり、「自分を選手と一緒に闘っている!」という感覚になれて嬉しいということもあるかもしれない。
しかし、その中に重要な戦略が話されており、それがバレたら戦いに不利になるのは明らかである。
もちろん、テレビで中継する側もその点に注意して近づきすぎないようにするだろうし、選手や監督もそのことを踏まえて話しすぎないようにしたり、サインで会話したりしているのかもしれない。
だが、万が一のことがあってからでは遅いし、モニターが近すぎることによって選手や監督のプレーや作戦に支障をきたしては本末転倒である。
観客側の、チームの内部状況まで知りたい、臨場感を味わいたいという思いも分かるが、観戦者にも踏み込みすぎないというマナーが必要になってくるのではないだろうか。さらに、中継するメディアもビジネスをしているわけで、観戦者のニーズが応えたいというのが本音だろう。
どこまでが踏み込んいいのかは微妙な点ではあるが、観戦者側だけの論理で推し進めるのは間違いなく問題である。
決勝戦は勝敗だけでなく声での勝負にも注目!
応援がない野球の試合は日本では珍しく、それを楽しむのもまた一興だ。
もちろん行き過ぎのは良くない。高級レストランが顧客に一定の振る舞いを求めるように、野球においても観戦者にも一定の倫理感が求められる。
だが、それを守りつつ、球場のいろいろなことに5感を張り巡らせれば、新しい観戦方法が見えてくるのではないか。
そういった意味では今日の決勝戦はいいチャンスだ。
確かに、高校野球の練習試合を見に行けば応援はないし、ベンチやフィールドの声をもっとリアルに聞くことができる。
しかし、野球の大きな大会で鳴り物応援がない試合は貴重であり、大きな大会ならではの高揚感と緊張感をより一層味わうことができる。
今日の試合は、選手のプレーや勝敗だけでなく、選手の声にも注目してみて欲しい。
あなたは新しい野球の楽しみ方を体験できるかもしれない。