大谷翔平を目指すとはどういうことか。
それは、二刀流を目指すことではない。二刀流をメジャーで成功させることでもない。
ではそれは何か。これを私なりに考えてみる。
現代野球初めての二刀流
二刀流がすごいのは、日本では初めて、かつアメリカでもベーブルース以来の近代では初めての存在だからだ。
確かに次に出てくる二刀流もすごい選手になるだろう。最強打者のハーパーとスーパーサウスポーのカーショーを合わせたような選手が出てくるかもしれない。
しかし、大谷翔平の凄さは色褪せない。なぜなら、ベーブルース以来で初めの二刀流だからだ。
もちろん、初めての二刀流はベーブルースだから、大谷は二番煎じではないかという意見もあるだろう。確かにメジャーで初めて大活躍した二刀流選手はベーブルースである。しかし、100年前と現代野球ではその環境や野球のレベルも大きく異なる。大谷は「現代野球での初めての」二刀流選手なのだ。
現状を打破した「初めて」に価値がある
初めてに価値がある。なぜなら、初めては「現状を超えて」こそなし得ることだからである。一般的に、現状を超えるのは非常に難しい。だからこそ、現状を超えたことを成し遂げることに価値があるのだ。
例えば野茂だ。彼は初めてメジャーで日本人選手として成功した。しかも野茂マニアというブームを巻き起こすほど、メジャーファンを熱狂させた。
だか、彼がメジャーに挑戦するまで、日本人はメジャーに挑戦しても活躍できなかった。メジャーは未開の地であったのである。野茂はその未開の地へ挑み、「現状を超える挑戦」をした。その結果、後の日本人メジャーリーガーへと道を拓いたのだ。
イチローもそうである。MVPや新人王を獲得して驚異的なデビューをし、シーズン最多安打を塗り替えるなど、メジャーで初めて日本人野手として成功した。それまでは「日本人の野手は成功しない」と思われていたが、それを覆し、メジャーの選手とファンを驚かせたのだ。
大谷翔平を目指すとは誰もやってこなかったことをやるということである
本題に戻る。大谷翔平を目指すとは、二刀流を目指すことではない。
もちろん、二刀流で活躍することそのものがすごいのは間違いない。だが、大谷翔平を目指すという条件を考えると、それは「誰もやっていないことを目指し、それを成し遂げること」である。
確かに、大谷翔平は二刀流をもともとやりたかったのではなく、栗山監督らの日本ハム側からの提案にのってはじめてその道を考えたのかもしれない。
しかし、その「誰もやっていない挑戦」をそのまま受け入れて実現できたのも、彼に「誰もやっていないすごいことをしたい」という想いがあったからこそだろう。実際に、大谷翔平の夢は「世界一のプレーヤーになる」という壮大なものである。その世界一のプレーヤーになるという夢への道のりには、当然「誰もやってない現状を超えたすごいこと」も含まれているはずである。
関連記事:大谷の1番の強みは鈍感さである
パイオニアを目指す人はみな大谷翔平である
繰り返すが、大谷翔平を目指す=二刀流目指すにはならない。二刀流を目指すなら分かるが、大谷翔平を目指すということは、「誰もやっていないこと」に挑戦するという条件が加わるのだ。そうなると、二刀流ではなくても、大谷翔平を目指すということは可能だ。パイオニアを目指すという意味で同じある。
例えば、メジャーで5割打者を目指すことや、投手として30勝などのより高い目標もいいだろう。あるいは、日本、韓国、中南米リーグ、メジャーなど、それぞれのリーグで優勝するという目標もありだ。これらは、「誰もやっていないこと」という意味で目指すべき価値はある。
大谷翔平になるのは容易ではない。しかし、目指すことはできる。それは二刀流という形にこだわる必要はないからだ。
誰もやっていないパイオニアを目指す。この目標に掲げて進んでいる人は皆、大谷翔平を目指していると言っても過言ではないのである。